(2008年1月23日新規作成)

モンゴル通信 モンゴル高原から送るEメール


ギルモア著「モンゴル人の友となりて」

   第30章 モンゴルの狼

時によって姿は見られぬー冒険ー狼はモンゴル人を恐がるー漢人は狼に襲われるー狼に遇うー狼狩りー牛が狼を追うーようけんし?の狼ー狼を「山犬」と呼ぶ

         

旅行者の中には、モンゴルに一歩踏み込めば狼に出会うと思っている人もある。狼はいるにはいるが、張家口からキャフタまで突破しても、一匹すら廻りあわぬこともある。時には狼の声は聞こえても、姿の見えぬこともある。ある冬のこと、一人の外国人が、モンゴル人従者をただ一人連れて旅行していた。香車は壊れてしまって、普通の幌なしに変えねばならなくなった。ある時、ちょうど一行が休止していると、なにか物声が聞こえてきた。車の駱駝が耳をそば立てたと思うと、突然その外国人だけ車に乗せたまま、モンゴル人や他の駱駝を置き去りにして、一散に走り出した。この驚愕の原因は狼の咆声であって、度を失った駱駝が向こう見ずに走り出したのである。外国人は機会を窺い、車がとある氷上にさしかかると、敷物を掴んで車から飛び降りた。このため足下に狂いを生じた駱駝は、多少歩みを緩めながら行ってしまった。外人は一方の危険は免れたが一難去ってまた一難の苦境に気がついた。狼が襲ってきたらどうしよう? こんな真闇の森の中で助けもなくただ一人、どうしたらよいのか。そのうちに、何者か近づいてくる気配がする。旅行者は早くも救われがたい気持ちになって、今にも狼が飛び出してくるものと暗い木立の間を凝視した。ところが幸いにも、モンゴル人が駱駝に乗って後を追って来たのであった。逃げ出した駱駝と車はあるテントの傍にいるところを捉まえた。
 旅行者は得てして要らぬ心配をする。蓋しモンゴルでも狼が人を襲うことはない。ロシアの狼は確かに人間を襲うということで、ブリヤート人が夜羊の柵に狼を追い詰め、咬まれて死んだことがある。シナでも狼に人間が咬まれたとか、子供が浚われたと言う話は数多い。モンゴルで行商する漢人は狼を恐れること実に甚だしい。モンゴル人も狼を憎み、ことに家畜の群が荒らされるのを怖がるが、人間に危険があるとは夢にも思わない。漢人は狼を見ると逃げ出すが、モンゴル人は大声をあげて喚きながら、狂気のようになって狼に突進する。時折、昼下がりの静寂を破って、ゲルの周りにすさまじい騒ぎが起こる。すると誰でもそれが何事かよく分かっていて、すぐに表に飛んで出て、その騒ぎに加わる。これは狼が羊の群れにいたか、羊を狙っているのを見つけたのである。人間に近づけば、いつもこうした恐るべき歓迎を受けるのであるから、狼の方で習慣的にモンゴル人を怖がり、子供を見ても逃げ出すようになるのはあながち不思議ではない。
人間を食うというロシアやシナの狼と、人間を食わないモンゴルの狼との違いは、おそらくモンゴルの狼はそれほどの逼迫を経験しない、ということで説明が付きはしないか? 狼は年中子羊や羊の一頭ぐらいならば、白昼は平原に出ている のを襲い、夜になれば、備えの悪い柵の中に狙うことができる。狼が一番に狙うのは羊であるが、羊にありつけないとしても、牛なり、駱駝なり、馬なりを、あるいは単独に、あるいは腹のすいた狼同士で徒党を組んで、何頭でも欲しいだけ捉まえてご馳走になれる。それだから、何を好んで人間を食う必要があるだろうか? だから、モンゴルの狼は人間を食べないのだ。
モンゴル人は、漢人に比べて自分たちが狼に勇敢であることを少なからず自慢する。狼は遠方から見分けを付けて、漢 人と見れば躊躇なく追跡する、とさえ言う。慣れた目を持った人は、平原の遥小さい人影を見ても、漢人かモンゴル人か識別できるというのは事実である。実際、服装や態度の相違は、遠目にも明らかだ。狼がこの相違に気づくかどうかは疑問であるが、モンゴル人は、堅くこれを信じている。青いどうぎとxxを穿いたものは決まって逃げ出して食われ、毛皮のデールを着た人間は、狂人のように咆えながら立ち回って、馬上から追いすがった狼の頭を打ち砕く。狼もこの相違を勘定に入れて人間によって待遇を変える、というのは全然信じられないことではない。 モンゴル人は、弱虫の漢人のふるえあがるような、痛快な狼制服の武勇伝を持っている。ここに二、三の例がある。

シナへ商売に行ったモンゴル人が、馬に乗って帰る途中、x壁の上に狼が一匹いるのを見つけた。狼は尾を振りたてて今にも、何人か漢人の子供たちが遊んでいる庭に飛び降りようとしていた。荷物から鉄砲を取り出したモンゴル人は、狙いを定めて発砲した。獲物はしとめられた。狼を見なかった漢人は、銃声を聞いて出てきたが、大きな狼が死んで庭に堕ちてくるのをみて仰天した。そして話を聞いて歓喜の涙をこぼし、即席の馳走でこの救い主をもてなし、土産物を山と積んで送った。
またモンゴルーシナ国境の打穀場でしばしば大狼に見舞われ、数人の犠牲者を出した。人々の恐怖は一通りではなく、収穫の始末をすることもできなかった。漢人は怖がって付近にも近づかない。すると近くの町に役所(街門)があって、そこに職を奉じているモンゴル人が、武勇の誉れ高く、また鉄砲が上手であった。そこで、百姓や商人や、土地の人々の代表が彼のところに出向き、どうか狼の恐怖を除いて、界隈を救ってくださいと頼み込んだ。お礼は効いたし、日ごろ 目の敵を撃のに否というわけがなかった。早速打穀場に出かけていって、その夜は穀物と一緒に眠った。狼は現れて、例によって人間のご馳走にありつこうとしたが、今夜の人間は妙なことに逃げ出さない。少々調子が狂った形で、今度は狼の方で退却し、さすがの名手も腕前のあらわしようがなかった。シナの鉄砲をモンゴル人が扱うと、弾丸の出が遅いそうだ。それから幾晩か試みたが、臆病者の狼を銃先に立たせる段には至らなかった。彼はついに痺れを切らし、漢人と 一緒に夜番をするのでなければ、もう止めると言い出した。さて、いよいよ狼がやって来たとき、漢人はいずれも周章狼狽、こけつ、転びつ、先を争って逃げ出した。いでこそござんなれ! モンゴル人は立ち上がって狼の姿をみるや、待ってましたとばかりに、早速その場でしとめてしまった。
ある秋のこと、数名のモンゴル人が北京に行く道すがら、夜になって鶏鳴山の付近の宿屋に泊まった。翌早暁ここを出 立したが、仲間の一人が、羊群と共に全速力で逃げてゆく羊飼いを見た。逃げ遅れた羊が右往左往している。羊飼い は漢人で、肥えた羊を追って北京に行くところであった。慣れたモンゴル人の目で見れば、この成り行きは一見して明ら かである。はたせるかな、狼が羊を捉まえて引き裂いていた。漢人はモンゴル人に言わせると、自分が食われるのが恐ろ しくて、一散に逃げてゆく。モンゴル人にとっては、見るより早く解っている。彼の血は沸き立った。自分の土地と同じ気に なり、大声で怒鳴って狂気の如く猛り立ち、狼めがけて馬を突進させた。狼は超特大の奴であったし、彼は武器といっ ては小さな鞭より持たなかったが、武器の必要もない。大胆な突貫と恐ろしげな喚声に狼はおじけづいて逃げ足をみせ た。馬から下りて獲物を仕留めたモンゴル人は狼の屍体を鞍の後ろに付け、町について良い値で売り払った。
あるモンゴル人が、その狼の冒険を語ってくれたことがある。彼はラマであるが、ある時手紙を運ぶために駱駝に乗って淋 しい所を通りかかった。不意に彼の駱駝が怖気づいたと思ったら飛び切り大きな狼が少し離れた所に斜に構えて睨んで いる。折も折だから、こうした道連れはあまりありがたくない。だから最初ラマは狼が鼻面を転じて姿を消すよう内心望み ながら、知らぬふりをした。それから、今度は、例の喚声で脅かす手を用いたらしいが、これもやはり効果がない。ラマは 、狼が人間をやっつけたと言う話は聞いたが、こ奴がその珍しい狼の一匹なのだろうか、と考えざるを得なくなった。武器 としては、乗馬用の細い鞭持つだけなので、狼が本気で飛び掛って来るとすれば、すこぶる心細い。しかし彼は一計を 案じ、まず駱駝を跪かせ、石を拾ってあぶみを打ち続けた。堅い金属性の音が怖ろしいばかりの喧しさで、さすがの狼も 、不承不承どんどんと歩み去った。このラマがもし馬に乗っていて五、六尺の棒でも握っていたら、狼に対する扱いも違 っていたであろう。
モンゴルには狼狩りというのがある。広い平原では、馬さえ良ければずいぶん狼を虐めることができるし、また山地でも、 もし騎馬者が二人いて、一人が狩って、一人が塞ぐという風にすれば、相当の獲物が収められる。坦々たる平原が連 なり、良馬を多く産する地方があるが、こうしたところに粗忽にも白昼顔出しする狼でも居ようものなら、それこそ運の尽 きだ。狩りに行くときは人々はテントの入り口に鞍を置いて待機している馬に跨りざま、「捕馬竿」を手にして、瞬く間に 獲物を追い詰める。「捕馬竿」というのは、一見丈夫な釣竿のようなもので、長さ十尺ないし十二尺、野馬の首を抑え るために、大きい丈夫な革輪が付いている。
狼狩りに最も適した季節は冬である。雪はそれほど馬の邪魔にならないが、狼は大分行動を妨げられるらしい。しかも 、うんと乗り回しても、馬は暑いときほど参ることはない。狼狩りは決して年中行事ではない。モンゴル人は馬を沢山持 っているが、狼を追い回したりして、不必要にこれを傷めるのを好まない。しかし、一度家畜に危険が迫ると見るや馬を 惜しむ余裕はない。
ある日我々がテントを張ったのは、裕福なモンゴル人の傍らであった。遠方で草を食んでいたはずの牛群が突然目白 押しに駆けてくる。
「奴らは狼を追っていますよ」
と召使が言う。主人が呼ばれて見てきたが、直ちに馬に乗って狼を追えと家僕に命じた。この言付を聞いた人達は、う れしそうに顔を輝かせ、見る見るうちに平原に乗り出して、長い「捕馬竿「を後ろに曳きながら、縦横に疾走した。貧しい ものに取っては、これは大した役得であったわけだが、しかし結局失望であった。年を経た狡猾な狼は、人間の繰り出し たのを見て、袋のねずみにならない先に、早め早めに山へ逃げ込んだ。一度山に入ってしまうと、もう追跡は困難だ。狼 を見失ったので主人はいささか機嫌を悪くした。というのは、狼によく悩まされて、大分被害があったからである。夜間狼 が大挙して押し寄せ、ゲルの近くに繋いで置いた駱駝を食ったこともあったと言う。
狼は怒り狂っているときでも、それほど怖ろしくない。己の獰猛に頼るよりも、むしろ人目に触れないことを好む。しかるべ き注意さえ払えば、ほとんど家畜の害されることもない。羊はよくやられるが、これも多くは、狼が機敏であって、不注意 な羊飼いに乗ずるのである。羊飼いがゲルに寄って茶を飲んでいるとか、 地面に座り込んで馬を抑え、あらぬ方向を 眺めていたりする。あるいは何か見たいものがあって五、六町も遠方に出かけたりする。こんなときこそ狼の絶好の機会 だ。疾風のごとく駆けて、見る間に羊群の中に押し入り、番人が駆けつけるまでには、早くも二、三頭を食い裂き、生血 を啜り、脂のついた尻尾をかぶりつく。やがて番人が駆けつけ、よくその後から近所の人達がぞろぞろついてくる。やられた 羊を確かめて、助かるだろうか、駄目だろうかと評定する。その間に狼は界隈の犬総出で追跡を受けて、近くの山に引 き上げるか、遠く地平線のかなたに姿を消すのである。
モンゴルで危ないものの一つは野獣だと、よく人は想像するが、モンゴル人自身は旅をするときでも、自分に危険がある とは少しも考えていない。私の知る地方では、狼は唯一の恐るべき獣で跳梁していたが、右に述べたように常に人を避 けていた。ロシアには時には怖ろしい大群をなす狼が現れるというが、モンゴルでは未だ聞いたことがない。もっとも某所 で人間が狼に襲われたということをただ一度耳にはさんだことはある。
モンゴル人が、ロシア人や漢人のように、家畜の警戒を厳重にし、小屋の改良に骨を折るようになれば、飢餓に迫られ た狼は、おそらくさらに凶暴になるであろう。しかし現在では狼は食料に不足がないので、人間には節度を守っているし 、モンゴル人も狼が家畜荒らしさえ止めれば、それほど目の敵にすることはない。しかし何といっても家畜を荒らされるの で、モンゴル人は実際これを怖れ、そして迷信から「狼」という語を口にすることを避ける。普通「狼」の代わりに使われる のは「犬」であるが、これはもと「山犬」と呼ばれたものを簡略したものだ。私もかって日没後、あからさまに「狼」と言って のけて、大いにたしなめられたことがあり、一度叱られてからは必ず「狼」を「犬」と呼ぶことにした。
狼でかねになるのは、その毛皮である。毛皮はすばらしい冬の着物になる。金持ちの着る高価な極上の毛皮には及ば ないが、普通人の日常着には効果に過ぎ、かつ立派過ぎる。といって、ともかく防寒の役目は良く果たすし、着物に作 ると見栄えがする。着物の上から羽織る短衣として最も多く用いられるが、乾燥した冬の突風を衝く騎馬者などには、 まったく持って来いのように見える。
(EOF)
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