モンゴル通信 モンゴル高原から送るEメール

ギルモア著「モンゴル人の友となりて」
第31章 北京とモンゴル人
モンゴル人にとっては、北京はハーンのお膝元である。政府の所在地として、また王城の地として、並みならぬ崇拝の的
となっており、彼らの知る最大の都城として、つねに驚異と畏敬をもって見ている。生涯のうちで北京を訪れるモンゴル
人は少なくない。勅旨により公務を帯びて来るものもあるし、宗教の中心地であるから信仰に引かれてくる者もあり、ま
た市場として利用し、自国の産物を値よく売りさばき、適当な呉服地を安く買い込んだり、シナでなければない数々の
文明器具を買い入れる目的を持ってくる人も多い。
モンゴル人が唯一の用事のために北京に来るということはほとんどない。巡礼がせん檀寺の有名な廟を拝みたいとの唯
一の望みから、わざわざ出かけてくることもないではないが、こんな信心家はごく稀だ。多くの場合、参拝に来た人々は
商用の方も少しは足してゆくし、また商用で来た者も、片づいてからついでにお寺巡りを忘れない。官用で来た者でも、
商売もすれば寺にも廻るといった具合に、用事を全部片づけて行く。
この首都には約千五百人のモンゴル人が定住している。城の内外にある数多の寺廟にはラマも配されている。多くは
年少の頃北京にきて、言語と言い、食事と言い、その他の習慣と言い、ことごとく周囲のシナ文化に順応しているので、
たまたま彼らがお上りさんのモンゴル人と街を歩いている時でも、両者の相違は際立っていて、とうていモンゴル人とは受
け取れぬことがある。北京在住のラマには故郷の仕送りで扶養されているものもあるというが、大多数は何かの役目を
もって、国庫なり前代の信心者の寄付なりによって収入を得ている。
これら首都の僧侶は、官命を受けて、たとえば国家の繁栄を祈り、清室の追善供養のために読経する。ハーンか皇后
が崩御になるとむしろ張りの寺が建てられ、ラマが召されて、追善の法会が二、三か月も続く。このような行事があれば
、ラマには無論余計な収入となる。
また裕福な家で不幸があった折などに、招かれて読経をする。そんな場合、黄衣をまとい、立派な帽子をかぶって道行
くときは輝くばかりのよそおいであるが、内実どれも甚だしく困窮している。政府そのものが不如意になったので、寺廟に
賜る奉銀も、切詰を余儀なくされたためである。呼び声だけは十分の収入を持っているラマも、多くは実収その半ばに
も達せず、しかもそれで辛抱せざるを得ない。
モンゴルラマの居住する北京の寺院には、霊妙をもって聞こえた者も多く、香客の跡を断たない。最も有名なのはせん
だんじで、廟宇の周囲の参道は、敬虔な信者が功徳を積むため堂から堂を巡るので、舗装した煉瓦が踏み磨かれて
いる。
信心深いモンゴル人は、北京の書りつに心を惹かれる。他のクリエンや五台でも書物は出ているが、僧侶の用いる経
典の大部分は北京で上梓される。両ラマ廟のごく近くにそれぞれ二軒の出版業者があって、漢人の経営となっている。
ここに行けば、仏教書は、モンゴル語でもチベット語でも、少し有名なものなら大概はある。また、未刊の書物でも、需
要があるとみれば、随時費用をかけて出版する用意はできている。
モンゴル人によると経典は写本の方がよいという人もいる。そして、北京の廟にいるラマは、この種の仕事を請け負わせ
るために、たださえ乏しい手当をさらに詰めて、細々とした暮らしで満足している。あるモンゴル王侯が、この仕事を命じ、
あるいは坊さんのような言い方をすれば発願して、そのために莫大な報酬を払い、いよいよできあがった時には、白駝が
列を組んでこれを運び、王自ら馬上駱駝の先頭に立って、この尊い宝物の成就に深甚な敬意を表したという。この話
を私にしたモンゴル人は、さも満足げであった。

政府の命によって上京する人々は、いずれも高位の官人で、多くは冬季に召集され、従者を従えて参向する。彼らは
銘々定めの奉銀を受ける。毎年参内する王の中には、首都に邸宅を持ち、これに滞留するものもいるが、位の低いも
のは漢人の家に寄寓する。
そのなすべきお上の役目というのは、ただ形式的なものであるらしく、王侯は早朝宮中で執り行わせられる御接待に連
なって皇帝に侍り、家臣たちは、城の往復に供揃いを勤めてもっぱら主人に威厳を添える。北京を訪れた一組のモンゴ
ル人が語ったが、その首都に招ぜられるのは、チンギスハーンの嫡流たる資格によるもので、またその故に皇帝からご陪
食を賜るのである。饗宴は形式的なもので、彼ら自ら説明するところによると、料理は一部で、大部分は土などででき
た造り物であり、着色して本物のように見せかけている。もっとも、その真偽にかかわらず、陪食者には同じことで、御前
で食事をするは恐いにたえずという面持ちで、身じろぎもせずに食卓に着いているのが礼儀である。しかしながら、御前
では食しえなくとも光栄を記念するために、本物なり偽物なり、御馳走のうち幾分を袖に入れて持ち帰ることができると
語った。
龍庭に一、二か月御機嫌を奉伺した後は、俸銀を賜って退下する。遠く故郷に帰る前に、普通数日を費やして私用
を済ます。その後は一年もしくは二年に一回のまたのお召しがあるまでは参向しない。
冬になるとモンゴル人は北京の盛り場に現れて、集まるシナ人の群れに、その変った風采をもって一種の生彩を添える
。多くは商人に属する。牛車とともに来る者、馬に乗ってくる者もいるが、多くは駱駝を曳いて来る。駱駝の縦列は、六
十頭余りも続くので、雑踏の街を行くには一騒動だ。駱駝は、彼らにしてみれば常ならぬ街の光景に逆上し、たださえ
嵩ばった体を鯱こばらせ、荷物を積んだまま揃って棒立ちになるので、交通妨害も甚だしい。北京の車曳きはこれを見
ると、野次りこそするが、しごくご機嫌で行列の去るまで道を譲ってやる。けだしモンゴル人は無知で、汚くて、遅鈍で、お
まけに手癖まで悪いと軽蔑されるが、漢人にとっては儲けさせてもらう上得意としていたるところで歓迎されるのである。
北京には主としてモンゴル人のための宿所が二か所ある。一つは客爾客館といい、北門外一哩の所にあるので、「外
館」とも呼ばれている。他の「裏館」は英国公使館の背後にある。
モンゴルに行かずにモンゴル人の生活を見たいと思うなら、「裏館」こそその場所である。市場になる広場にも常に数個
のテントが見られる。その戸口に立てば、茶を沸かしたり、食物を調理したり、顔を洗ったり、座り込んだり、いづれも純
モンゴル風に振る舞っているのが見られる。テントの周囲には凍結した獲物や家禽の篭が置いてあり、そのまた外回りに
は、駱駝、牡牛、車が並んでいるが、いずれも輸送に用いられるのである。漢人の野次馬や小商人は常に戸口を取り
巻き、テントの人々は常に「街」、いわゆる市場の中心を往来している。
「裏館」には、モンゴル各地方から出てきたモンゴル人が集まっているので、キリスト教書を売るには絶好の場所である。
しかも、彼らの帰国の際には一緒に持ち去られ、かくして遙かに遠い国々にまで影響を与えうる。しかし、この種の書籍
販売に従事する者は、しばしば一文無しのお客さんに出会い、代価としていろいろ妙なものを受け取らされ、物々交
換を強いられることもある。
冬季二か月は「外館」も「裏館」も売り手・買い手で賑わう。この最も賑やかな二か月の前後それぞれ一ヶ月は書いて
も売り手もチラホラ見えるが、残りの八ヶ月はいずれも火の消えた淋しさである。モンゴル人は北京の酷熱を嫌って、涼
しい、住み心地のよい「棲家」に引き揚げるし、漢人は漢人で商売替えする者もあれば、すこし企業心のある者になる
と、品物を仕込んで、遠く夏の行商に草地まで出かける者もある。
(おわり)
(EOF)