「ゴルバチョフ夫妻と並んで撮った写真(3)」

---叔父清次郎のこと---

 東京に出て叔父は夜学に通いながら電設工事の仕事を始めました。田舎の鶏鳥小屋とかわらないような小さな掘っ立て小屋に「佐藤清次郎」という表札が掲げられました。「表札だけは日本一大きい」と写真の裏にメモ書きがあり、それだけが叔父の自慢でした。

 時々、父への近況を伝える手紙に、私に宛てて、「後楽園球場に工事仕事に行って志村アナウンサーを見た」とか書かれていると、当時野球少年だった私はそのことを得意になって友達に吹聴しました。

 それから何年たったか、30歳を半ば過ぎた頃かもしれませんが、叔父は北区の東十条に新しい家を構え、図書館で働いていた東京育ちの女性を嫁さんにもらいました。
 中学三年の修学旅行で東京に行ったとき、叔父はオートバイに乗って宿泊先の旅館を訪ねてきました。引率の先生に挨拶した後、叔父は私を連れ出しました。オートバイの後座席に座って振り落とされないように叔父の腰にしがみついて東京の街を走りました。オートバイの加速の感じも初めての体験だったので、怖いようでもあり、また、痛快でもありました。

 叔父の新しい家は、玄関前に直径50センチもあろうかと思われる大きな欅の木があり、二階の窓近くまで新緑を拡げていました。私の田舎の旅館よりも立派に見える二階建ての新しい家でした。

 その家の二階にある部屋に案内されて、お嫁さんと最初の対面をしました。お嫁さんは、生まれて間もない赤ん坊をおんぶしていて「ようこそ、いらっしゃい」とさわやかな東京弁で挨拶をしました。当時、この上もなく内気だった私は(前にも書いたように、今でもそうですが)口をもごもごさせるだけで、ろくな挨拶もできませんでした。東京の女性は、田舎の女性と違って、まぶしく輝いているように思われました。
 その時、うな重をご馳走になりました。東京にはこんなに美味しい物があるのかと驚嘆しました。

 田舎に帰ってから、百科事典で、「カッコウは自分では巣を作らず、他の鳥が作った巣にこっそり卵を産み、みよけた雛は、周りにある卵を足で蹴り落として、巣を乗っ取ってしまう」というような内容の記事を見つけました。
 数年に一回、やはり東京にいる父の妹が田舎に墓参りに来たような時に、私は叔母にその話をしました。
 「カッコウは巣を作らないのに、清次郎は自分の巣を作った。清次郎は偉いんだね」と言って笑いました。私が叔父に対する敬意を間接的に表現していると好意的に解釈してくれたのでした。私は、そこまで慮って言ったのではなかったけれども、無意識のうちにそう感じていたのかもしれないと気づかされました。

(つづく)