霊峰赤城への夢
本章の最後に、上毛野国と上毛野氏関係氏族の中国文明への進取の気性に関連して、ひとつの夢を記しておきたい。われらが霊峰赤城に関する夢である。
数年前、私は、老荘哲学、道教哲学の世界的権威である福永光司京都大学名誉教授のご教示で、孫しゃくの「天台山に遊ぶうた一首ならびに序」をひもとく機会を得た。「文選」のなかのこの一首をひもとこうとしたのは他でもない。赤城山とその名を同じくする中国せつこう省天台山系の一峰赤城山(せきじょうざん)と、わが赤城山との繋がりを調べてみたかったからである。
赤城は、群馬県民にとって最も聖なる山のひとつであり、ひつ石(宮城村)・宇通遺跡(粕川村)・三夜沢赤城神社などの興味深い宗教遺跡に富んでいる。しかし、その名の由来については古くから疑問がもたれており、つとに鎌倉三代将軍、源実朝の歌(「夫木集」)に
上野のすた(勢多)の赤城のから社 やまとにいかで跡を垂れけん
と、「やまと」と対比される「から社」が赤城にあったことが注目されている。この「から社」については、「空社」とする説もあるが、「やまと」と対比されているのであるから、「韓(朝鮮)社」あるいは「漢(中国)社」のいずれかと考えるのが理にかなっている。私自身は、上毛野国・上毛野氏関係氏族と朝鮮文化との密接な関係から、この「から社」を「韓社」と考えてきたが、赤城と名を同じくする中国道教の聖山赤城山が天台山系に存在することを考えれば、中国文明とのかかわりを考えなくてはいかないだろう。そこで問題となるのが、中国道教の聖山赤城山のことを記す孫尺(320−377)の「天台山に遊ぶうた一首ならびに序」である。