「モンゴルで親父の夢を見た(1)」
---今は亡き父に捧げるバラード---
元山さんは、モンゴル報告の第21回で「私の父に瓜二つのモンゴル人に出会ったこともある、日本では一度もないのに。」と書いています。
私もこの記事に触発されて、モンゴルで親父にそっくりな人に会えるかも知れないと言う妄想がどんどん膨らんでいました。
それも30歳位の青年時代の父に会えるかも知れないと言う妄想です。
日本でこんなことを口にしたら「あんた、あたまちょっと変なんとちゃうか」とちょっと危ない人と思われるのが関の山でしょうが、モンゴルにいると何故か、このような妄想が現実味を帯びて押し寄せてくるのです。
元山さんの父君は長崎県佐世保市の海軍の軍人であった様に聞いておりました。
海のないいモンゴルで海軍の軍人だった父親そっくりの人が居たというのだから、あの馬好きという程度を越えて馬気違いと陰口を言われていた私の親父がいない筈がないと、私の妄想はどんどん膨らんでゆきました。
馬気違いと言われても仕方のない親父の行状は次ぎのような話で十分頷いていただけると思います。
終戦の時、父は30歳になっていたと思います。
その時、父は仙台にいましたが、予てから目を付けていた上官の愛馬を高額のお金を払って買い取り、貨物列車の一両に載せ、自分もその中で寝泊りし、新潟県刈羽郡安田町(当時の地名)の田舎の駅に降り立ったと言うのです。
父の親父、つまり私の祖父は、これまた親馬鹿を絵に描いたような人だったらしく、戦争で死ぬかも知れないと思っていた息子が(現に父の部隊は、終戦直前にアラスカのキッツ島に派遣されたのだそうですが、父は乗馬教官だったためか除外されたようです。)生きて帰って来るのだからと、先祖伝来の田畑を売り、馬を買う高額の代金を工面したと言うことです。
今なら、どら息子にポルシェかランボルギーニでも買ってやったと言うところでしょうか?
さらに、祖父の親馬鹿さ加減は、仙台の息子がx月x日に安田駅に貨車に馬を積んで到着するという葉書が届いているのに、その二日前から駅前に一軒しかない安田館と言う旅館に泊まりこんで、一汽車通る度に出迎えていたと言う事です。
もしかして、予定が早まって、駅に着いたときに、誰も迎えが居なかったら寂しかろうという思いからだったようです。
親父が亡くなったとき、村を出て遠く離れている私の見知らぬ人から一万円の香典に添えて次ぎのような文面の書留を受け取りました。
「兵隊より帰ってきて、駅から馬で小清水(集落の呼び名)を駆け回り、わたし達子供らは、ただただ唖然として驚き、そのカッコ良さに見とれたものでした。」

(つづく)