宇通遺跡

毛の国から古代オリエントへ」(福田日出子著 (株)サンデージャーナル)の冒頭の一節は、私が赤城山麓の古代仏教遺跡「宇通」に関心を寄せるようになった発端である。

以下はその部分の抜粋。


「勢多郡粕川村に宇通遺跡という古い寺社の遺跡があるが、これを知っている人は、意外に少ないようである。
 海抜700メ−トルに近い高所に、六町歩にも及ぶ広さを、伽藍配置のために整地して、五間(一間は十二尺)の四間の大堂、方三間の堂、八角堂、その他十数棟の建築物が整然と配置されている。
 この遺跡を発見する動機となったのは、昭和40年にこの地域をおそった山火事で、その跡始末のとき、礎石が発見されたのである。その結果、群馬大学の尾崎教授によって、発掘調査が行われたがその礎石は火災にあっていて、周囲のミゾには木炭クズが堆積していた。その木炭クズの上に、1281年(弘安4年)の浅間噴火の際の浮石層がのっていた、ということである。
 これは、吾妻鏡の建長3年(1251年)4月26日の条に「上野国の赤木岳が焼けた…兵革の兆あり」とあるのが、この宇通寺遺跡の焼失を物語っているのではなかろうか。

 鎌倉三大将軍、源実朝の歌に、
      かみつけのせたの赤城のから社
          大和にいかで跡をたれけん
 と未木集によまれているが、宇通遺跡の火災が1250年とすると、実朝の在位中(1203−1219年)は、けんらんとして社がそびえていたことになる。」

関連情報

  1999年地球惑星科学関連学会合同大会予稿集原稿「赤城山は活火山か?」

 「古代東国の王者 上毛野氏の研究」(茜史朗著 あさを社)「赤城にさす影 霊峰赤城への夢」